函館山について
函館山ロープウェイとは・・・
函館山ロープウェイ(はこだてやまろーぷうぇい)は、北海道函館市にある函館山の山麓と山頂を結ぶロープウェーを運営する会社である。
創業は1958年。前身の函館観光事業会社が31人乗り索道 ロープウェイを開業する。
1959年 函館山観光を楽しむ人たちのために山頂展望台と食堂・売店を開設。1978年には元町壱番館を開設する。
1965年 タクシー事業を開始するが、これは1975年に分社化し現在は撤退。
1970年 45人乗りロープウェイに増強。
1986年 ロープウェイを増強。展望台改修完成。
1992年 日本初のコミュニティ放送 コミュニティFM放送・#エフエムいるか FMいるか開局
1993年 「カフェペルラ」開店
函館山と砲台跡とは・・・
『津軽要塞』より : 津軽要塞(つがるようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。明治29年北海道の函館港及び函館湾守備を目的に計画され、明治35年に完成した函館要塞が前身で、昭和になって津軽要塞と改称され、津軽海峡も守備範囲に加わった。平成13年10月「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。
函館要塞は千畳敷砲台、御殿山第一砲台、御殿山第二砲台、薬師山砲台及び立侍保塁で構成される。明治29年頃から「敵軍ヲシテ本湾ヲ利用セシメサル事」を目的に要塞設置が計画され、明治30年11月函館要塞砲兵大隊が編成される。明治31年6月には薬師山砲台が起工し、同年9月28日の陸軍省告示第11号により函館要塞周辺区域が示された。明治31年6月御殿山第一砲台の起工、9月に御殿山第二砲台の起工となる。要塞諸施設の完成後に日露戦争を迎え、函館要塞も動員される。大正5年には御殿山第一砲台及び薬師山砲台が廃止された。昭和に入り守備範囲を広げる為に竜飛崎砲台及び汐首岬砲台及び大間崎砲台を完成させて、昭和2年名称を津軽要塞と変える。之によって津軽海峡の封鎖が可能となった。太平洋戦争が始まり各地の要塞が軍に隷属すると津軽要塞も昭和18年2月5日軍令陸甲第10号により北部軍 (日本軍) 北部軍に編入され、その後昭和19年3月16日大陸命第967号により第5方面軍 (日本軍) 第5方面軍戦闘序列に編入され第5方面軍隷下となった。明治の要塞建設以後函館山等は要塞地帯として一般の立入りが禁じられていたが、終戦後の昭和21年5月一般開放され、平成13年10月北海道遺産に選定された。
函館山テレビ・FM放送所とは・・・
函館山テレビ・FM放送所(はこだてやまてれび・えふえむそうしんじょ)は、北海道函館市の函館山山頂にある渡島支庁・檜山支庁管内のテレビジョン放送及びFMラジオ放送の基幹送信所である。
北海道南部の渡島・檜山支庁管内はもちろん、青森県の津軽海峡沿岸の一部地域(大間町など)をカバーしている。
アナログテレビジョン放送では、技術的・コスト的問題から、他の道内基幹局と同様、NHK函館放送局以外では音声多重放送を実施していないため、音声はモノラルである。但し、字幕放送やアナログデータ放送は回線使用料を現状維持できるため利用可能である。なお、民放各局の音声多重放送はデジタルのみで行い、アナログは行わない。
アナログUHF・デジタルテレビでは、いわゆるスピルオーバーを抑えるため、南側(津軽海峡側)への送信出力を抑える指向性が設定されている(ただし、函館方面を見渡すことが出来る地域では受信できないことはない)。
kazutana (Kazuyuki Tanaka)
mky_ (mky_)
annte2 (安藤哲朗)