霊山について
霊山竹生嶋流とは・・・
霊山竹生島流(りょうぜんちくぶじまりゅう)は陸奥国伊達郡霊山(現福島県伊達市 (福島県) 伊達市)で伝承されたという竹生島流 竹生島流棒術の一派。
なお、現在は長崎で伝承されている庄内藩伝の竹生島流棒術とはかなり異なる。
源氏や平氏が台頭して勢力を争った平安時代末期、難波平治光閑は信仰していた竹生島弁財天(竹生嶋弁財天)の啓示を受け、難波流薙刀から棒術を編み出したという。そして、自分が創始した棒術を竹生嶋流と称した。
言い伝えに寄れば南北朝時代 (日本) 南北朝時代に北畠顕家が霊山城を築城した折り、北畠顕家にしたがって比叡山延暦寺より来た僧兵によって霊山にもたらされたという。
ただし、この言い伝えに歴史的な確証はなく、後述の清原森光によって霊山にもたらされたというのが史実である可能性が高い。(霊山は南北朝期の北畠顕家や落ち武者、隠れ里の逸話が多い地域で、そうした逸話と混同された可能性もある)
霊山 (福島県)とは・・・
名称=霊山
標高=825
山系=阿武隈高地
霊山(りょうぜん)は、福島県伊達市 (福島県) 伊達市(旧霊山町)と相馬市との境にそびえる標高825メートルの山。国の名勝、日本百景、およびうつくしま百名山に指定されている。また、南北朝時代 (日本) 南北朝時代の重要な城跡遺構として国の史跡にも指定されている。
阿武隈高地の北部に位置する玄武岩の熔岩台地で、丘陵は起伏に富み、奇岩を連ねる岩山である。台地の周囲には直立する柱状節理が形成されている。古くは修験道の山として知られ、山中には護摩檀跡などの名残も残っている。
現在は遊歩道がよく整備されて登りやすい山となっており、弁天岩や天狗の相撲場、蟻の戸渡りなどの奇岩巡りができる。また、中通りと浜通りの境に位置する分水嶺の一端を成しており、西物見岩からは福島市街地や伊達郡、伊達市 (福島県) 伊達市、東物見岩からは相馬市街地や相馬郡 (福島県) 相馬郡、太平洋まで望むことのできる山上天然の要害である。
霊山神社とは・・・
名称=霊山神社
所在地=福島県伊達市霊山町大石字古屋舘1
祭神=北畠顯家公北畠親房公北畠顯信公北畠守親公
社格=別格官幣社・別表神社
創建=明治14年(1881年)
本殿=三間社流造
例祭=4月22日・10月10日}}
霊山神社(りょうぜんじんじゃ)は、福島県伊達市 (福島県) 伊達市霊山町にある神社である。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社。建武中興十五社の一社。
建武中興以降、陸奥の鎮定にあたり、南朝 (日本) 南朝に従った北畠親房、北畠顕家、北畠顕信、北畠守親の親子を祭神とする。鎮座地の霊山は親房以降の北畠氏の本拠地で、顕家が陸奥国府を置いた地である。
文化 (元号) 文化14年(1817年)、松平定信がこの地に霊山碑を建てた。明治元年(1868年)、米沢藩の儒者・中山雪堂と医師・西尾元詢が顕家らの英霊を祀る神社の創立の運動を起こした。明治9年の明治天皇の東北巡幸を機会として、明治12年11月に創立が請願され、明治13年6月、霊山の西方山麓の北畠氏の支城があった地に社殿が造営された。明治14年(1881年)5月11日に鎮座祭が行われ、明治18年に別格官幣社に列せられた。
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